吉田トチちトオゲレツブラザース

第1話 隊長〜ぅ! すみませ〜ん!! 沈しまぁ〜す!!!


※注 ここに記載されている各人の年齢その他データは「平成8年11月」のこの漕行当時のものです。

 平成9年11月の頭。
 我らが隊長・吉田トチちトこと「吉田俊仁」から、
 『昨年の11月にズブヌレネズミになった、あの栃木の黒羽の那珂川の雪辱をやるから、集まりんしゃい。逃げたらあかんでぇ。』
という号令が下った。何もこんな寒い時期にワザワザやらんでもいいじゃないかと思われる貴兄もいらっしゃるだろうが(実は筆者もそうは思っているのだが)、
 「なんの同じ時期にやってこそ、雪辱戦の意味があるのだ!!」
と、隊長は言い張るのであった。
 「そーだそーだ、やろうぜやろうぜ!! ホィホィーっ!!」
と、そこには例によって無責任に煽る隊員たちがいた。(隊員とは言っても40歳を筆頭に下は20歳の現役ローバーまでの紛れもない現役リーダーたちである)彼らには季節がどうであろうが、誰が沈しようが、そんなことはどうでもいいのだ。要は「自分でチャレンジしておもいっきり楽しめればそれ以上のことはない!!」なのだ。そういう意味で我々は創始者ベーデン・パウエルが言っている"BOY-MAN"(少年の心を持った大人)−−しかもいつでもどこでも楽しめる精神(こころ)を持っている−−そのものなのだ。それがこのオゲレツ隊の伝統の「スピリッツ」なのである。

 まぁそのイケイケ根性が、この雪辱戦の元となった例の悲(喜)劇を招くことになってしまった訳ではあるか・・・。

 いやぁ、筆者もカヌー歴はけっこう長いけれど、あれほど見事なカナディアンカヌーの「激沈」というか「爆沈」というか「轟沈」というか・・・は、未だかつて見たことがない(ホントに)。たぶんオゲレツ隊史上、いや那珂川のカヌー史上に永遠に名を刻む「轟沈」に違いないハズである!! きっとこの先ずーぅっと言われつづけるんだろうなぁ・・・(笑)

 で、その悲(喜)劇とは・・・・・




 そう、あれは忘れもしない昨年、平成8年11月16日のことである。
 吉田隊長から召集を受けた、我々オゲレツ隊のメンバー海老原、中島、杉浦、村田、種田、佐藤の6名は、ピューピューと木枯らしが吹く中、2台のデリカに分乗し一路北を目指していた。
 それは、ボーイスカウトの75周年記念事業でビデオを製作することになり、その総集編でもある第4巻「アドヴェンチャー」編に出演する(日連から発売中だよ〜ん)という、非常に美味しいエサを吉田隊長から見せられて、いやいや美味しい話をいただいて、そのロケハンを兼ねての下見に行くことになったからなのだ。

 茨城県の南玄関・取手から国道294号を北上し、目的のスタート地点、黒羽市の那珂川の河原公園に到着したのは、お昼前であった。
 早速「昼飯だ!」と車から鍋を取り出し、寒さに震える身体をあたためるべく調理をはじめるのだった。さすが実力十分(?)なリーダー集団である。伊達にスカウト時代からン十年も野営生活を経験しているわけじゃないオゲレツ隊の面々、荷物を車から降ろして炊事場の設営まで早い早い。ものの5分もしないうちにセッティングが完了した。

 材料は近所のスーパーで隊長自ら買ってきた豪華絢爛な食材一式。
 それを調理するのは、奴隷炊事班の村田であり佐藤であり種田である。指導するのは奴隷頭の班長杉浦だ。
 しかし、その時からこのカヌー行の行く手に立ちはだかる暗雲を示唆していたのかもしれない。
 彼らが何をしたか。まず材料を見て、2種類の鍋を作ることにした。これは正しい行動だ。何故か、この一行の中で唯一隊長のみ「肉」を食わない主義なので(魚は食べる)、でっかい鱈の白子3本入りパックをなんと3つもどーんと買ってきてくれたのだった。そして「ちくわぶ」もどどーんと大量に買ってきてくれていた。
 そんな訳で当然1つは「鱈白子大入り阿鼻叫喚鍋」、もうひとつはごく普通の「野菜たっぷり味噌煮込み鍋」となったのである。

 材料をどどどーんと投入して、
 「ぐらぐらぐっらららっら♪♪♪」
と鍋はできあがっていくのであった。




 「鍋」と言えば、そう「鍋奉行」だ。
 このオゲレツ隊にも当然のことながら鍋奉行がいる。しかも「本家」やら「元祖」やら「筆頭」と、どこかの饅頭屋のようだ。

 が、ちょうどその時、本家鍋奉行の吉田隊長はファルトボートの組み立てを元祖鍋奉行海老原副長とともにしていた。隊長のファルトボートはフェザークラフト社製のものですごく性能はいいのだが組立に時間がかかるのである。
 一方、筆頭鍋奉行中島上級班長もやはりファルトボートを組み立ていた。こっちのはファルホーク社製のもので市販の製品では最も早く組み立てられるもののひとつである。この2組はそれぞれ対抗意識をむき出しで、鍋そっちのけでカヌーの組立てをしていたのだ。
 そのため奴隷頭・杉浦は職務怠慢を決め込んでデリカの陰で昼寝。奴隷のローバー達も普段だったら材料の切り方から火力、出汁の取り方までこと細かく指図をするハズの鍋奉行たちの呪縛からのがれることができ、久々に自由に調理に勤しんでいるのであった。
 「できました!!」
の声に奴隷頭・杉浦はすかさず職務復帰し、
 「味見の儀を執り行う。全員整列!」
その号令に呼応して、元祖鍋奉行海老原副長がのそりのそりと「味見の儀式」にやってきた。

 「・・・・・・・!」
と、種田が冷や汗をかいている。そのリアクションの大きさに佐藤、村田の冷たい視線が種田に降り注ぐ。
 「おい、そんなの聞いてないぞ!」
 「す、すんません、わすれてました・・・!」
杉浦が椀に汁を注いで、「ははーっ」と副長・海老原に差し出す。
視線が副長の口元に集中する。固唾をのんで見守る奴隷達。
実にうれしそうに副長は、「ずずずっ」と汁をすする。他の者たちは「よし」の言葉を今か今かと待っている。
 ところが急にその顔が険しくなり、鋭い目線が彼らを貫いた。
 「まずい。ぺっ!」
っと吐き出し、ギロリと一瞥。
 「何だこれは!!(ギロッ)」
と問いただす奉行2海老原副長に、奴隷3の種田は直立不動で立ちすくみ
 「調味料がなかったんですぅ・・・・」
と必死に弁明している。
 「なにぃ?(ギロッ) それじゃあ、何で味をつけたんだぁ? あぁん?」
 「カップラーメンのカレースープで、はい・・・。」
とめいっぱい泣きがはいっている。

 なに、調味料がないだぁ? そんなはずはない。さっき車から下ろしたのを確認している。
 見ると村田の直ぐ傍らにミニクーラーボックスがあるではないか。さすが村田だ。調味料を運びやすいようにって小型のクーラーボックスに自分で詰め込んだことを既に忘れている。またしてもやってくれるぜ。

 さて仕切直し。
 ふたたび味付けをして、ようやく耐えうる味に仕上がったのは5分後であった。
 「よし。とりあえず合格!!」
海老原元祖鍋奉行の許しがでた。容器に各自でてんこ盛りにし、食らいつく。
が、、、、
 「うげっ!」
 「ぶへっ!」
 「ぺっぺっ!!」
奇声と同時に、あちこちで白いものを吐き出している。
何をしているんだ、ばか者と思いつつ、私も白子を頬ばる。その途端、
 「・・・・!!  おえっぷ!」
まったりとして、こってりとした生臭さが口いっぱいに広がって、とてもじゃないが耐えられるしろもんじゃぁなかった。思わず吐き出しそうになったとき、ちょうどそこにカヌーを組み立て終わった隊長がやってきた。両手で口を押さえ吐き出すのをこらえる。
 「おまえら何をしてるん? ん?」
隊長が怒りを露にしている。
 「た、隊長〜ぅ、一口食ってみてくださいよぅ〜!!」
と奴隷頭・杉浦が涙ながらに訴える。が・・・・・
 「何、お鱈さまの白子が食えんとな、男の痛みが分かちあえんとな!!」
と訳のわからないことを言いながら、杉浦の器からしっかり煮込まれたアツアツの白子を掴みだし、えいっと口に押し込む。
 「ひっ、ひえぇぇ、申し訳ございませんですだぁ!! ふがふがあが・・・・」
哀れ奴隷頭杉浦は、無理矢理白子を口に詰め込まれ、息も絶え絶えに白子を飲み込むのに必死になっていた。
その時、他のメンバーたちはどうしていたか・・・・・、

海老原はいつの間にか姿を消し、
中島は背後の藪に白子を投げ捨て、
種田は白子を鍋に素早く戻し、
村田は鍋から箸で白子をつまんだまま凝固し、
佐藤は器を持ったまま右往左往して         いた。
いずれも吉田・杉浦2人の方に背を向けつつ、横目で事の成りゆきを盗み見るのだった。
 「全く貴重な蛋白資源を何だと思っているんだ!!」
と言いつつ、隊長吉田は白子を口に入れる。
 「ほら、こんなに旨いもの・・・(うっ)」
次の瞬間、隊長の口からは「だぁぁ」と白いものが流れ出てきた。
 「いやぁ、何でっかこれ?! めちゃくちゃまずいんとちゃいまっか!?」
 「でしょう、だから言ったじゃないですか、こんなもんあんなに買うなって!!」
と、いつの間にか現れた副長海老原は、いつものように、ただいつものように冷たくそしてそれらしくのたまうのであった。

 そうして程なく白子は鍋から駆逐されたが、かわいそうなのは奴隷頭の杉浦である。しばらくの間、晩秋の那珂川の河原には壮絶な杉浦のうがいの音が響きわたっていた。
 「ゲロゲロゲェ〜〜!!」




 さあて、お腹もくちくなり、いよいよカヌーを水に入れることにした。
 この年は秋晴れが続いていたためか、流量思ったより少ない。水深はというと、この付近は川幅が広くなっているところなので、長靴を履いても水が入らない程度だから水深20cm強程度だろうか。艇を引っ張ると川底の石にゴリゴリと艇の底を擦ってしまう。
 川の中程には水深40cm位の流れがあり、そこから艇に乗り漕ぎだした。

 今回の漕行は、隊長はフェザーの1人乗りのファルトボート、副長海老原と奴隷頭杉浦の突撃コンビはコールマンのカナディアンカヌー15ft。そして私・上班中島と筆頭奴隷村田の無沈コンビもまたコールマンのカナディアンカヌー15ft。それぞれ第一弥栄丸、第二弥栄丸の愛称がつけられている。そして奴隷コンビの佐藤・種田はファルホークのファルトの2人艇で計4艘での漕行である。

 先頭に隊長、そして第一弥栄丸、第二弥栄丸と続く。するといきなり
 「た、隊長〜ぅ、座礁しました〜ぁ。」
漕行を開始して3分もたたないうちに、そう100mも行かないうちに奴隷部隊の種田・佐藤の悲鳴が聞こえた。
 後ろを振り返ると、浅瀬に乗り上げてにっちもさっちも行かなくなっている2人の姿があった。この2人はまだ初級の新参者で、川の読み方の知識も実践経験もないのであった。
 当然、誰1人としてそんなことは教えるハズもない。
 「パドルをこぎゃ進むんだぞ!!」
そう言えば隊長吉田が教えていたような気がする。が、そんなことは誰だって知っている。
レスキューに戻ろうにも流れはきつく、Uターンも遡行していくこともできる状態ではなかった・・・・行く気もなかったようである。
 「まぁいいか、何とかなんだべ。」
とそのまま進むことにした。

 すると今度は前である。隊長もしっかと浅瀬にはまっているのだった。
 「隊長、大丈夫ですかぁ?」
でも何やらハマったことが恥ずかしかったのだろうか、そのまま「うんちょ、うんちょ」ゴリゴリと強引に艇を進めてしまったのだ。
 その結果は当然のことながら底にしっかり穴が開き、艇に座ったまま姿勢で沈していくのであった。
 「隊長、ごたっしゃでぇ〜」
 「これじゃぁ、としひとじゃなくて、とチンひと隊長ですねーっ」
 「ばかもの、これはまだ沈ではないわ!!」
傍らを過ぎゆく第一弥栄丸だったが、つぎの瞬間そこでも
 「ガキッ!!」
とにぶい音が。こっちも浅瀬にはまってさぁたいへん状態になってしまったのだった。
 「隊長、こっちもはまりましたぁ!!」
 「それはよろしい、よくやったぁ!!」
 「でも、行っちゃいまぁす」
 「なにぃ?」
 「ガリガリ、ゴリゴリ、バキバキ....」
第一弥栄丸は派手な音とともにズリズリと進んでいくのだった。第一弥栄丸、いや副長・海老原と奴隷頭・杉浦に不可能という文字はないのだろうか。
 で、第二弥栄丸はというと、その難所を上手く回避して、直ぐ先の川の合流地点の流れ込み脇の反流でみんなが来るのを待っていた。



 ちょっとここで、このわずか300mの間での各艇の状況を解説させてもらおう。

 まず、種田嗣大(22歳)推定体重90kg、そして佐藤康夫(22歳)推定体重52kgファルホークチームの座礁の原因は単純に知識と経験不足そして前後の体重差による艇のバランスとミスコースであった。

 次に吉田俊仁隊長(年齢47歳)は艇の性能と腕の過信と隊長という立場と見栄というかプライドが艇を破損の原因に。

 そして第一弥栄丸のスターン側の船長・海老原学(39歳)推定体重95kgとバウ側の水先案内兼操舵手・杉浦一弘(33歳)推定体重85kgの場合は合計体重180kgのせいで艇のきっ水が低くなったがための座礁。しかし圧倒的なパワーで強引な突撃前進を可能に。

 最後に第二弥栄丸の船長・中島清行(38歳)推定体重75kgと水先見物人・村田隆浩(24歳)推定体重60kgの場合は総重量の前者に比べての軽さもさることながら前後の体重差からバウが上がり障害物を避けられたことと単に要領が良く前の艇の軌跡をうまく利用したためで、決して第二弥栄丸のクルーが上手だった訳ではないことを付け加えておく。



 さて、話は戻って、隊長の艇には長さ20cmにもおよぶ裂け目ができていた。
 それをガムテープで補修するが、しばらくの間は川の様子を見るために第一弥栄丸に便乗することになった。隊長の艇は第一弥栄丸が牽引していく。
 種田と佐藤は、隊長の艇に大きな穴が開いたことで借り物であるファルホーク艇を無事に返す自信がなく、また便乗する艇もないことから、ここで漕行を断念し、車で伴走することになった。

(次号に続く)


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